幼年期の終わり 書評 あしたは「雲のむこう」上映会です。お暇でしたら、ぜひご参加ください。

遅くなりましたが、6月19日に行われた読書会で取り上げた「幼年期の終わり」レの感想を載せておきます。後に読書会の感想も掲載する予定です。

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

さて本書の主題は「人類の進化」ということに集約されていくのであるが、それについては私より優秀な方がいくらでも解説しているので、そちらを参考にしてもらいたい。今回は別の視点からこの物語が訴えたかったことを分析していきたいと思う。
私が注目したのは、人類と、オーバーロードの関係だ。人類はオーバーロードの超越した科学力に畏れと憧れを抱く。だが当のオーバーロードは進化の袋小路に達していると共に、科学よりも、精神の進化を重視したオーバーマインドに憧れを抱く。私は、オーバーロードは物質的肉体や科学技術力の限界を示していて、そこには科学に永遠の繁栄を求め進んでいく人類へのアシモフなりの警鐘があったように思うし、そう思うからこそ、この物語がSF的に面白いということができるように思うのだ。
半世紀ほど前、我々の住んでいる21世紀という世界は夢の科学万能世界として扱われていた。心を持ったロボットがそこらじゅうにおり、秘密のポケットから便利な道具を何でも出してくれる。そしてそれらは自分の身も厭わずに、100万馬力で人のために一生懸命尽くしてくれるのだ。だが現実はどうであろうか、科学の発展は確かに私達の自由を拡大してくれはしたものの、今度はその科学が環境問題や地球温暖化などを引き起こし、人類に牙をむくようになってきている。一時期の「癒し」ブームがオーバーロードのため息と重なって見えたのは私だけではあるまい。我々が進化させるべきだったのは本当に科学だったのだろうか。未来に生きる我々こそがアシモフのメッセージを受け取り、考えねばならないだろう。
(渡邉)